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“心のM&A”で“心の経営”を引き継ぐことができた

“心のM&A”で“心の経営”を引き継ぐことができた

株式会社エスアンドエス
代表取締役社長

河瀬 進

株式会社コノミヤ
代表取締役社長

芋縄 隆史

株式会社エスアンドエス 代表取締役社長 河瀬 進

高校卒業後、大阪の紳士服問屋に就職。その2年後には地元岐阜県の瑞浪にて紳士服の専門店を開業する。昭和60年、協同組合のメンバーの一人として瑞浪ショッピングセンター「メイト」設立に参画。核店舗となる「フレッシュマーケットワンダー」の店長、および株式会社エスアンドエスの常務に就任する。平成12年に同社代表取締役社長に就任。平成9年、社団法人日本ショッピングセンター協会登録「SC経営士」の資格を岐阜県で始めて取得。現在は「瑞浪商工会議所副会頭」、「瑞浪市商店街連合会副会長」、「協同組合全国共同店舗連盟副理事長」としても活躍。

株式会社コノミヤ 代表取締役社長 芋縄 隆史

1957年の創業の食品を中心とした総合スーパーコノミヤの長男として将来を嘱望。関西大学卒業後、株式会社コノミヤに入社。関西スーパーへ出向し、6か月間の新入社員研修を経て、衣料品のバイヤー、販売促進課長、店舗運営部次長、店舗運営部長を歴任し、28歳の時に取締役、32歳の若さで代表取締役社長に就任。老舗として伝統を継承しながら、時代の変化に対応した経営に注力する。

――まずは河瀬様が株式会社エスアンドエスを創業された経緯からお聞かせいただけますか。

インタビューイメージ_株式会社エスアンドエス_01

元々は、岐阜県の瑞浪エリアにある商住混在の商店街で、15坪の紳士服専門店を営んでいました。ある時、商店街の裏手に大通りができることになって、人の流れが減少する可能性が生ずることに。危機感を覚え始めた矢先、ちょうど新聞か何かの記事で、地域の商店が共同でショッピングセンターを作るという事例を読みまして、私から商店街の人間に呼びかけを行いました。当初は、たくさんの賛同者が集まってきたのですが、具体的な借り入れや投資の話になると、一人抜け二人抜け、最終的には19人が残りました。

わずか19店の小さな専門店が集まったところで成功はしないだろうと、地元で繁盛しているスーパーマーケットに話を持ち掛け、出店の快諾をいただきました。融資の話もまとまって、土地も確保。ボーリング調査を済ませて、手付金も支払ったタイミングで、突如、大規模小売店舗法が改正されることとなりました。「地元の既存商店街の合意がなければ大規模小売店は出店できない」という通達が追記された結果、計画も一時ストップ。先行きが見えない状況の中、一緒にやろうといっていたスーパーマーケットが離脱してしまい、私たちのような小さな専門店だけが残ってしまったのです。

もちろん、他のスーパーも当たってはみたのですが、企画に賛同してくれる企業様もいくつかあったものの、やはり法改正の影響もあって、地元の商店街との調整に時間がかかってしまっているので、なかなか合意がとれない。そこで私は、その残された19人のメンバーの中で、一番企業規模の大きい会社の専務に、スーパーマーケットをやってくれないかと頼んでみたのです。何度か協議を重ねる中で、“河瀬君が一緒にやるなら検討してもいいぞ”という話になりまして、私のような、個人店の事業主がスーパーマーケットを運営するなんてとんでもないと思ったのですが、これはもうやらざるを得ない。元はといえば、私が言い出した話ですから。そこから勉強を始めると同時に、地元の商店街と調整が進んで、昭和60年に会社を設立。常務取締役兼店長に就任し、翌年に「フレッシュマーケットワンダー」を開店するに至りました。

――そこから、どのようにして事業を拡大されていったのでしょうか。

――インタビューイメージ_株式会社エスアンドエス_02

そもそも、人の上に立ったこともないわけですから右も左もわからない。みんなに声をかけ、引っ張っていたことに対する責任に支えられながら、とにかく無我夢中でやりました。ところが開業から2年間は、開業費用を含め、累積赤字1億4千万円という状況。よく潰れなかったと思います。やはり神様が頑張れと背中を押してくれたのでしょうか。その赤字をそこから3年の間に取り戻すことができました。私自身が勉強を重ね、経営者としてのレベルが上がったというのと、従業員も中途採用による寄せ集め集団だったのが徐々に意識を高めていって、皆が一丸となって頑張ったからでしょう。

時代も良かったのだと思います。ちょうどバブルに突入した頃で、どんどん右肩あがりで売り上げが伸びていきました。そして平成10年、当初、うちのショッピングセンターに入る予定にありながら離脱してしまったスーパーマーケットが倒産。この十数年の間は互いに競合関係にあったのですが、その競争に打ち勝ったといいますか、私どものような素人集団が生き残り、長年、地元で愛されてきたスーパーマーケットが潰れてしまった。そこでまた、私どもの店にお客様が集中。大きく売り上げを伸ばすことになりました。

ところが、良い時代というのはなかなか続かないもので、その店の跡地に新たな競合店が進出。最初はそれほど大きな影響はなかったのですが、やはりノウハウのある大手であったため底力があり、じわじわと伸びてきました。それでも私たちも頑張ってそれなりに戦ってきたのですが、平成20年にその店が400メートル先に、さらに大きい店をオープン。それでも私たちは、さらに勉強して対抗し、売り上げを38%まで伸ばすに至りました。激しい攻防が繰り広げられていました。

――普通のお店であれば、その時点で大きな打撃を受けることになりそうですが、どうして持ちこたえることができたのでしょう。

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ウチは競合店に比べて売り場面積が半分程度。全体的な品ぞろえでは絶対に勝てないですから、とにかく生鮮を重視しようと考えました。毎日、市場に買い付けに行ったり、今でも4時に家で起きて市場に電話して手配をしている。そういう大手ができないようなことを根気よくやってきました。また従業員とベクトルを合わせてやってきたことも大きいと思います。技術的な話ではなく、私が“こういくぞ”といったときに、皆が一丸となってついてきてくれた。

実は私、これまで32年間に渡って、一度も仕事を休んだことがありません。出張や経営会議で出かけるとき以外はずっと店にいる。その姿を従業員はちゃんと見ているから、私のことを信頼し、時には身体大事にしてよとか、心の中でいたわってくれるんです。私自身、従業員を雇用しているというより、一緒に頑張ってもらっているという意識が強いですから、普通の雇用関係とはちょっと違うというか、同士なのです。そういう関係というのは今日、明日でできるものではないですよね。

――32年間も休みなしで働いてこられた…。どうしてそこまで頑張ることができたのでしょうか。

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やはり責任でしょうね。最初の動機は、大きい店を作って利益をあげたいという、その一点でしたよ。ところが店を立ち上げるまでにかなり苦労しましたが、色んな人に出会ったり喧嘩したり、助けられたり、それは店を作ってからも同じなんです。そうなると、儲けようなんていう気持ちを最優先にしていたら絶対に儲かることはないということは身に染みてわかってくるのです。

お店をつくるときには、共同出資したメンバーをはじめとする関係者のことや地主さんのことを考えたり、作ってからはお客様のことはもちろん、従業員のことや問屋さんのこと考えたり、そうでなければ会社はうまくいかないということが実体験としてわかっていた。とはいえ、基本的には好きなことだからできたんでしょうね。私は小さい時から、経営者か商売人になりたいという夢をもっていました。それは行商人だった親父の影響もあります。

――事業承継、もしくはM&Aを意識されたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

インタビューイメージ_株式会社エスアンドエス_05

実はM&Aについては20年前から頭の片隅にあって、本を読んだりセミナーに出席していました。M&Aをしようと明確に考えていたわけでなく、M&Aで買い手が現れないような企業であったとしたら、どのようなカタチにせよ事業を承継することは難しいであろうと思っていました。ですからM&Aを勉強して、自分の会社を自己評価しながら会社の価値を高めようと考えていたのですね。

先ほどもご説明したように、この会社には共同経営者(前会長)がいて私が100%のオーナーという立場ではなかったため、当初は息子に継がせることなど考えたこともありませんでした。しかし、実質的には私が店長としてリードして、ここまで商売を大きくしてきたという自負があります。小さな会社ですから、将来、どうなるかはわかりませんし、現に創立メンバーも少しずつ離脱していきましたので、自分もリスクを負って、株式を買い足して集約していったのですね。色々な可能性というか、選択肢は用意すべきだと思うのですね。きちんと事業承継ができなくなってこの店がなくなってしまったら、困ってしまうお客様や従業員がいる。選択肢のひとつとして息子を入れても大丈夫な体制にしていかなければと考えはじめていました。


――具体的にM&Aを決心したのは?

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問屋も再編が進み、取引先を選別しはじめている。競合店がどんどん進出し、うちの店を挟み撃ちにしている。さらに人口減少、高齢化によって人々の胃袋が小さくなっている。良い話は何もないわけですよね。やはり、これだけ厳しい環境の中で勝ち残っていくには、それなりの武器が必要だと考えました。だから条件さえ整えばM&Aをしてもいいのではないか?という気持ちになっていました。

しかし、お店だけでなく従業員や息子、そして地域に対する私の思い自体が承継されないのであれば、いざとなったら倒れるまで私一人でやってやるぞという気持ちもありました。だから、私たちが頑張ることができる力を獲得できるようなM&Aでなければやっても意味がないと。経済的な対価だけを求め、大きな企業に吸収され、私の思いが薄まってしまっては、私のこれまでの37年間に渡る商売人としての人生の意味がなくなってしまうのでは?と考えていたのです。

そんな矢先、M&Aキャピタルパートナーズが主催するセミナーに出席。それをきっかけにして、担当者と情報交換をするようになりました。正直言って、最初は大丈夫かな?と思ったんですよ。私がイメージしているM&Aアドバイザーというのは、もっと口八丁手八丁なタイプ。ところが私がお会いしていたのは本当に実直そうで、ソフトな第一印象。交渉事は大丈夫?と心配していました。ところが話を進めてみると押しが強い。何よりも私の思いを正確にくみ取って、最適な企業を紹介してくれました。

――ここからは、譲受企業である株式会社コノミヤの芋縄隆史社長を交えてお話を伺います。芋縄様は、これまでも数多くのM&Aをご経験されてきましたが、その戦略の意図するところを教えてください。

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芋縄  私どもの会社はこれまでずっとM&Aであったり、“採算合わなくなって不要になった”という店舗を買収し、いわゆる“居抜き出店”によって成長してきた会社であります。企業である以上、利益を追求し、その戦略のひとつとして拡大路線を打ち出してはきましたが、本音を言えば、数字ばかりを意識しているわけではありません。性格的に、“私に関わった人たちがどうやったら幸せになれるか?”ということを重視する。ですから、“このスーパーどうですか?”“どうにかなりませんか?”と頼まれてしまうと、“自分の力でどうやったら助けられるか?”と、真剣に考えてしまうのです。例えば、“核となるスーパーが撤退し、ショッピングセンター全体がものすごく落ち込んで大変なんだ”という新聞の記事を見ると、いてもたってもいられなくなって、すぐに現地視察に向かいます。どこも名乗り出ていなければ、我々がやりましょうと即決。実際に、そういったかたちでショッピングセンター全体が生き返って、ものすごく盛況なお店になっているとかいう事例もあります。ですから、もちろん事業欲があって、拡大傾向もあるのですが、自分の決断によって救うことができる街や人たちがいるのであればやってみたいというのが根本にある考えです。

ですから、後継者候補や従業員にも目配りします。今回の初顔合わせの際に、河瀬社長だけでなく、次の時代を担う息子さんにもお会いさせていただきたいということを申し上げてお会いしました。パートナーとしてご一緒するには、やはりお人柄を重視しますから。そういう観点からしても、お二人とも誠実な方で、商売に対して正面からぶつかってやっておられる一生懸命さと熱意というのを感じました。

河瀬  はじめて芋縄社長にお会いしたときに息子と一緒に伺わせていただきました。わずか1時間の間、それほど多くの言葉を交わしたわけではないのですが、その中に私のことや息子のこと、うちの会社のことや、従業員のこと、地域との関わりのこと、すべてを察して飲み込んでいただいたという印象を持ちました。それは「地域に貢献できないような会社は成長しない、儲からない」という社長の一言に集約されていました。その一言で私の希望がすべて満たされたわけですよ。実はお会いするまで、私の中ではまだ、6割ほどしか決意が固まっていなかったのですね。しかもその時点では、企業の資産価値を測るデューデリジェンスも終わっていなかったですし、経済的対価も含めた諸条件も決まってはいませんでした。で、あるにも拘わらず、この社長にはすべてをお任せできると、私の大事なものだけは守ってもらえるということがわかり、そのわずか一時間で不足していた4割が埋まったのです。

しかし、単純にインスピレーションだけに頼って決断したわけではありません。積み重ねが一瞬のインスピレーションに繋がったのです。コノミヤさんがこれまでやってこられたこともしっかり勉強してきましたし、私がやってきたことも棚卸をして整理してから、初回の面談に臨みました。あらゆる積み重ねが一瞬の決断につながったのだと思います。

――現在はどのような状況にあるのですか。

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河瀬 現在は、コノミヤさんの東海事業本部から指導を受けながら、次のステップに向けての基本づくりを進めている段階です。仕入れや、物流関係、システムの関係など、これまでうちのような単独店では実現できなかった改革を進めている段階です。コノミヤさんと一緒になって仕入原価が下がり、私たちが考えられないようなコストメリットも生まれている。これこそマジックですよ。現在は私の息子も指導を受けながら、たくさんの宿題をいただいています。私は今まで、とてもこんな仕事を息子に任せることなどありませんでした。しかし彼は本部からの宿題をしっかりこなしている。その姿を見てびっくりしているところです。思い返せば、最初に対面した時に私が“息子ではまだ役不足ですよ”と申し上げたら、芋縄社長が「立場が人を作ることもありますからね」と一言おっしゃられていましたね。

芋縄 河瀬社長の息子さんですからね、それは絶対にできますよ。とにかく、会社を統合する際には、あまり急ぎ過ぎても駄目だし、あまりゆっくり過ぎても改革が進まないですから、その辺を上手に見極めながら進めていければと考えます。結局、実際に統合の実務を進めるのは河瀬社長のお店のスタッフさんですから。我々が全部やってしまうのは簡単ですが、やはり実際に業務に携わる人に理解をいただくということが大事なのではないかと思います。当社の考え方としては、各店の個性は大切にしつつ、グループとして同じフィロソフィーを持つことが重要だと考えています。内装が同じだとか、物理的なカタチが同じだとかそういうことではなく、魂が同じということが大事です。例えば名古屋における食の嗜好は大阪とは全然違いますし、名古屋と岐阜も違います。物理的に統一しても無理があります。それぞれの文化や風土に合わせた店づくりを進める。そういうことがコノミヤ的だと思うのです。

――M&Aが成立した際の、社員さんの反応はいかがでしたか。

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河瀬  特に大きな混乱もなく、誰もが前向きに捉えていました。それは芋縄社長もお感じになられたのではないでしょうかね。

芋縄  そうですね。M&A成立直後に実施されたエスアンドエスさんの従業員大会に寄せていただいたときに、皆さんの様子を拝見して安心しましたね。

河瀬  M&A成立後に1日だけお休みをいただけないかと、芋縄社長にひとつだけおねだりしまして。ウチが毎年、全従業員で新年会をやっていて、来年はコノミヤグループの一員になるのですから、もうこの新年会はできないだろうと思い、最後に大宴会を開こうと考えたのですね。そのときに芋縄社長が「もちろん良いですよ。何するんですか?」とおっしゃられたので、“従業員の慰労をさせていただきたい”とお応えしたら、「それはいいことですね。私も招待してください」という話になって、M&A成立直後の宴会にご出席をいただいたのですよね。

芋縄  従業員の皆さんにお会いさせていただいて、新ためて感じたことがありました。社員、パート、アルバイトもそうですけれど、皆さんが河瀬社長と同じ方向を見て、思いを共有されていた。河瀬社長の思いが従業員に伝わり、従業員の思いがまた河瀬社長に伝わるという、ものすごく良い循環ができあがっていて、本当に素晴らしい組織だと思いました。私どもと一緒になっても、この関係性を絶対に崩してはならないと、強く思いましたね。

――最後に、今後の目標をお聞かせいただけますか。

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河瀬  私自身、先のことは考えていません。それは芋縄社長がうちの状態を見ながら考えられると思うからです。とりあえず私はエスアンドエスを、それこそ同業者からも地元の方にも、そして最終的に芋縄社長が良かったなと思ってもらえるような会社にすることが使命だと思っています。まず、今、コスト削減に伴うバックヤードの改造やシステムの変更を軌道にのせること。販売戦略に関してはコノミヤさんの商品部と連携を図りながら、その力を借りて売り上げを拡大していくことが最優先事項となります。私自身はリタイアして悠々自適の楽隠居をしたいという気持ちがまったくないんですよ。私はこれまで休みの日であっても仕事してきたわけですが、コノミヤさんは正月三日間をお休みにするとおっしゃる。そうなると“三日間どうして過ごそう?”と思う人間なんです。

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芋縄  今年69歳になる河瀬社長を中心にエスアンドエスのメンバーの努力で会社を良くしていくのは当然のことだと思いますし、そうしなくてはならないと思うのですけれども、同時に私は息子さんを鍛えて、そして我々コノミヤの岐阜の全部を任せたいという気持ちを持っています。ですから、まずは我々のやり方をしっかり覚えていただき、いずれかの時点で、岐阜全部を見ることができるようなポジションに立っていただく。瑞浪から生まれたエスアンドエスがコノミヤのグループに入ったけれども、実はエスアンドエスが頭になって我々の岐阜を守っていくというようなことができれば、一番うれしいかなと思うのですね。そのために、私が申し上げるのもおこがましいとは思うのですが、息子さんをしっかり教育させていただき、エスアンドエス河瀬フィロソフィーと、コノミヤ芋縄フィロソフィーの両方を兼ね備えた幹部に成長していただけるよう期待しています。

河瀬  恐縮しすぎて言葉もありません。あとは息子がどれだけ頑張って、その期待にお応えできるかというところです。

――なぜにそこまで親身になられるのですか?

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芋縄  息子さんと私は境遇が同じなんですよ。スーパーマーケットの社長の息子として生まれてきて、私はたまたま今、うまくいってはいますけれども、実は何かのきっかけの違いによっては、必ずしもうまくいかない例も事実としてあります。先ほども申し上げたように、私と関わる人はすべて幸せになってほしいとは思いますが、もちろんそれは本人がモチベーションをあげて、頑張っていくしかありません。しかし、そのきっかけや環境を用意することは私にもできると思います。このエスアンドエスから、河瀬家から経営者を輩出し、岐阜を任せることが、私の思い描く“人の活かし方”であり、理想のM&Aだと思います。それを一言で表現するとしたら“心の経営”“心のM&A”なんです。これが大事なんですよ。どうしてもM&Aというと、企業価値や利益というものに目が行きがちですが、そうではない。お金よりも大切なものがある。それは、そこで働く人の心です。私はそういう思いを持ちながら、経営を進めていますし、これからもずっとこのスタイルを貫いていくつもりです。

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(文=伊藤秋廣 写真=伊藤元章)2017/10/11

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